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手紙
幼いときから共働きの家庭だったので隣のおばーの家によくいた、だから誰よりも一緒にいた気がする。
家に家族が帰ってくるのは遅く、母親は踊りの講師、父親はビデオカメラマンで現場に出ている、長女は塾だったかな?次女はヤンキーでなかなかみんな夜にならないと家に帰ってこない、
ばあちゃんの家によくいた、夜になると誰も家にいない薄暗い部屋が正直怖くて一人になる自宅よりはおばー、おじーと一緒にいた、
おじーは鉄工所をやっていたが、叔父さんに継がせていた、俺が知ってるのは持病を持っていてなかなか自宅から出ずに畑仕事をやっている温厚なおじーだった、おばーは全くの真逆で性格の起伏が激しく、口よりも先に手が出るようなタイプ、w
俺が生まれてからずっと近くにいた人たちとの別れ、
実家の隣が叔母の家で物心ついた時からずっと俺の成長を見てきたひとでした、
- 身近な人との別れを経験する日が来るのはいつかはあることだろうな、と思っていたけれど、結構つらいね、
- 最後には病院で息を引き取ったけれど、なかなか行くことができなかった…
- なぜか亡くなる日のことが分かった、
- こんな時に変に感が働く、
別れのドア
昔はよく怒られた、博打好きなおばーだったのでよくパチンコ屋に一緒に行ったし、夜遅くまで起きておじーと母ちゃんとおばーの三人で花札やってるのをよく見ていたw
家の目の前が国道沿いのため、夜中に眠れないときは暴走族を見に連れて行ってくれた。笑
幼い俺はアイス食べながら道路に椅子を持って行って特等席の観客席、警察に注意されることもよくあったw
おジーを亡くした後に一年ほどで旅立ったから後を追うようにして行ってしまった,,,
亡くなった日俺がに一緒にいた方に「最後のお別れにおばあさんにラブレターを書いてあげたら?」と言われて
確かに俺が書いた字を見せたことって多分なかったはずだから、最後に火葬の時に渡してあげよう!
家から火葬場までの距離に最後まで渡す文章を決めかねて、一番最後にお別れをいうタイミングで火葬場に到着、道に迷いなかなか到着しない俺を心配して親父からの電話、時間が押しても待っててくれた、
おかげで最後の別れをいうことが出来た、
柄にもなくすごく泣いてしまった。
最近涙もろくなったかな?と思っていたけれど自分でもここまで人前で泣くことがあるんだ?って正直びっくりしたw
「お母さんにだけは手紙を読んでもらった方がいいよ」
そう言われてたので母親にだけは手紙を見せた、おばーの目の前で出棺の時に、本当に最後の別れ
母親にも見せたことがない自分の書いた手紙、おばーが持っていけるように一緒に火葬するために書いた手紙を読んだ母親は一瞬んで泣き崩れてしまった…
なかなか人前で泣くことはない俺のかあちゃんは長女な分、気が強く誰にも気丈な態度で接してきて葬儀の間も涙を見せることはなかった。
思い返せば母親が泣いてるのを見るのは初めてだ
いつも気の強い母ちゃんで口うるさく、声がでかく、誰の話にも割って入って来る図々しい人だ。おばーに似ている。
汚い字w
最後の別れに触れた肌は冷たく、髪は真っ白、母親にも似て気の強い、甲高い笑い声をしていたおばーは安らかな顔をしていた。
火葬の前日に一時的に家に戻ってきたおばーの体は小さく、幼い頃に口うるさく、怖い存在だった姿というよりもこんなに小さくなっていたんだ…
幼い頃には広く大きく感じたおバーの家も今はそこまで大きく感じなかった、自分自身の体格が大きくなっていることももちろんある。
でも普段に流れる時間の存在を感じず忙しくしている日々を続ける中で頭の片隅に追いやってしまっていた存在、
いつも寝ていたベッドに寝てみた、低く小さな狭い天井だった、昔は広く感じた家、「ここに寝ていつもこの天井を見ていたんだな」そう思いながら少しの間その場で寝ていた。
寝てると昔のいろんな思い出が息を吹き返す、本当にいろんな思い出があった。母親は8人兄弟、従兄弟も合わせるとかなりの人数の家族になる、毎週のようにこの家に集まり、誰が父親か母親か?誰の子供か?なんて関係なく、分け隔てる事なく育てられた、喧嘩もしたし笑声が飛び交うウルサイ家だった。
いまは静かにバリアフリーの段差のない部屋、介護用具のたくさん置いてある部屋になっていた、
この小さな部屋の中にいる生活で毎日を送る、そうすると楽しみは人との接点、俺たちに会う事だったんだろうな、、、
そう思うとなかなか顔を見せる事が出来なかったなぁ、、、
その記憶を思い出し、小さくなった姿を見返したときに小さくなった体をした仏が大きな存在だった事に気づかされた。
幼い頃、毎日朝早くから台所にある「火の神」に向かって膝を着き、手を合わせ祈る姿を目にしていた、体格の割に大きなしわくちゃな手を合わせ、ぶつぶつと祈ってる、「何を独り言言ってるのかな?」気にはなっていたけれど何も聞いた事はなかった。その隣で真似をしていた。幼い小さな子供と何をしてるか教える事なく祈る老婆。
大きな存在と小さな体をした幼い自分の思い出は静かな時間が流れていてそのときの部屋の匂いまでも思い出すほどだった。
自分が意識をしてなくても時間は流れる、人は年をとる、
「一瞬の時間を大事にしなさい」ありふれた言葉の意味と重みを感じる。
時間というものはみんなに 平等に与えられている唯一のもの、限られた時間をどう使うのか?そしてどう生きるのか?
故人の無言のメッセージは心に突き刺さります。
小さいけれど大きな存在、
幼いときに感じていた存在感、
いまはそれをとても感じる、最後の別れでいろんなメッセージを書いて渡す事が出来たからおじーと読んでくれてると嬉しいな。
昔感じた手をあわせるときの安心感、懐かしくも特別な時間だったんだ
ありがたいな…