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25年間の灯火が消えた日。

2日前の9月22日に沖縄のクラブシーンの老舗「火の玉ホール」が25年の歴史に幕を下ろした。

個人的には火の玉ホールには片手で数えられるくらいしか行った事はなくスタッフの方は当然顔見知りもいない完全にアウェーだ。オーナーの喜一さんとは数回会った事がある程度。でもなぜか覚えててくれて、会う度に色々話してくれました。(大体会うときはクラブという所でもあるので爆音と酒に酔ってるので何話したか記憶に無いですがw)

でもつい先日の展示会に出展する為に一人で飛行機に乗って羽田空港に着いて睡眠不足の中移動のバスに乗せられバゲッジレーンに向う時に重い荷物を担いで向っていると後ろから「なーりー」とかすれた声で呼ばれた。(義成って名前なので親しい人にはなーりーって呼ばれてます)

振り返らなくても声で誰か分かりましたw

沖縄でも半年に一回会うか会わないかの人と東京でまさか会うとは思っていませんでした。

火の玉ホールが閉店するのは知っていましたが、まさかの再会だったので、せっかくだから顔を出そうと思って行ってきました。

一件夕食を食べながらの打ち合わせがあったので10時頃に火の玉の前へ…

現場に着くなり三階のクラブまでの階段から人が溢れるほどの長蛇の列…現場に着くなり正直「帰りたい」と思いましたw

ですが折角来たのだから喜一さんに会って帰ろうと思い、たまたま会ったdownyのロビンさん達と呑みながら待つ事に。小一時間ほど居酒屋で呑んだ後に再度火の玉へ。

室内に居る間に外は大雨、傘も持ってなかったのでずぶ濡れのままフロアへ上がると熱気と酸素の薄さにまた帰りたくなるw

上半身裸で写ってる人が喜一さんにそっくりだったので、目が合って話掛けようと思って近寄ったら別の人だった。

目が合ったのもバツが悪いのでスルーして通り過ぎたら「この変態ヤロー」と言われました。

言われた僕には「酔っ払って半裸で奇声発して暴れているお前の方がどう見ても変態だろ」としか思えませんでした。

どこのどなたか知りませんが…

火の玉ホール自体のコンパクトな箱の中にはまともに歩けない程の人の数。

酒とタバコと汗の匂いと熱気。

良い歳した連中が以上なほど凄い盛り上がりw

かなりの人の量に圧倒される。

僕自身の出身は沖縄市なので火の玉ホールには行った事がなかった。(昔は海南という地域にあった)

恐らくこの日に集まったお客さんの殆どはその時代を知ってる人達なんだろう。

このクラブで過ごした時間が短いため、全く持って火の玉ホールに対する思い入れは僕には有りません。

ですが集まったお客さんはここで楽しい時間を過ごしまくったんだろうな〜

集まっている人がみんな笑顔だった。

集まったお客さんを見たら喜一さんの人柄の良さをものすごく感じます。凄いね!

25年間色んな人が火の玉に来て、色んな事が起こって、楽しい事だけじゃないとは思うけど、それでも続けて。尊敬します。

辞める勇気って凄いなと思う。

続ける事と始める事は意地で出来るけど、辞めるときの判断は始めるときよりも覚悟が必要だと思う。

今後は次のステップとして貿易関係のことをして行くと新聞にありました。今後の活躍を陰ながら応援しています。

 

25年間お疲れさまでした。

 

 

 

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