Blog / 嘉数 義成(かかず よしなり)

続ける意味。

沖縄 宜野湾先ほど戻ってきました。

弾丸の滞在での出張はいろんな事を見つめなおす事にも繋がり多くの気づきがあった。

24歳の時にLEQUIOをやり始めて7年目になる、

やり始める前からこの仕事をしていたので12年ほどこの仕事をしている事になる。この数年の自分の生活、やっている事は10代の時の自分とは異なり、今までにないような事ばかりをやってきた。

沢山の人にも関わるようになってきた。

元々は小さなブランドのアトリエで修行をしていた自分。

専門学校を卒業してアトリエに入り3年間ほど関わっていた、その時の社長からの教えが今の自分の根幹になっている事に気づいたのは昨日。遅っ!w

出会った時は勤める前からの付き合いで、その時から数えれば12、3年の付き合いになるだろう。今ではそんなに頻繁に連絡を取り合うような中ではないものの、ふとした時に連絡をもらったり、連絡したりするとその時の上司と部下の間柄のような関係を一瞬で思い出すし、そんな感じの空気になる。

沖縄で当時から10年間ほど活動していた彼の教えは本質を追求するような考え方だった、話せば長くなるけれど、よくその事については朝方まで二人で話したりしていた。話している時間が好きで酒も飲まずに朝方まで話していた。

考え方というか、その時の自分の思考では全く理解ができなくて、憧れと苛立ちを感じ、対抗意識も添えて話すことも少なくなかった、言い訳もするけれど、真正面から向き合って話す事を進んでやるのは俺くらいで、根幹の部分を理解してないと横暴に感じられて離れていく人も少なくなかった。

距離をとれば疎遠になる、中途半端な距離感なら関わらないほうがいい、深く関わる事で染み付いた教えや考えかた俺の中にある。その当時に理解できなかった事と同じような事を自分がその当時の上司の年齢になったからなのか、やっと意識が付いてきたのか、理解できるようになってきた。

LEQUIOを立ち上げた時にフランスに行ってしまった、その時に話していたのが「俺がいるから沖縄を出る」最初は卑屈に聞こえたけれど、俺以外に教える必要がなくなった。

よく言っていたのは

沖縄から6人の優秀なやつを生み出す、

沖縄でファッションの仕事を確立させる。そうすれば縫製業の産業にもつながる。

理解しにくい人間を唯一理解する俺の存在を認めてくれて、俺に想いのバトンを渡してくれた、その時のアトリエをそのまま使わせてもらっているし、その時多少のお金を払いはしたけれど。

 

周辺機材や環境をそのまま引き継いだ!お金よりもその時の経験が今の自分を作っているもちろん貧乏はしたけれど、今考えたらそれを経験した事は大きな事だと思う。

物や経験以上にその時に話していた事や続けてきた事がさらに次につながっていく。

俺が辞めてしまったらこの人の今まで作り上げてきた事が無しになってしまう。そして存在すらもなかった事になってしまう。無視されたり、嫌がらせをされたりする事以上に悲しい事は存在が無かった事になる事だ。

今までの関りや時間、ある意味歴史がなくなってしまう。

存在したのにいなかった事になる。

俺自身が名前を残していきたい人間のはずなのに関わってきた人間の存在を無しにしていては残るはずもない。残す意味のあるものを残す、ある意味でのわがままを貫ける力と責任感が必要だ。

俺がいまやっている事は当時にやっていた事、話していた事を形にしている、それを続けている。

「人には、人生には役割がある」

良くその事を考える。

俺は0から1を作り上げる人間だと思っていた。

でもその当時の想いの発端を辿り俺が続けているとすれば俺は0から1に関わり、1から100へ繋げていく人間なんだろうな。

そんな事を出張中に考えていた。

( 注意、ちゃんと仕事はしています)

Comments

comments