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ワガママ

大きなものを作るというよりも広くのことをやることよりも、小さな物事でも研ぎ澄ませた物事をやっていくことが出来ればと思う。

形として結果会社が大きくなったり、人が増えたり、何かしらの変化が出来てくるだろう。自分でやっていても自分以外の人間と関わらなければ作ることのできない物事は多い。

一人で全てを完結させていくこと自体は自分一人で出来上がるものに責任を持っていればいいと思っていた。

でも今は必ず人が関わっている、自分以外の人間が関わると、少しでもその人との関係性が始まった時点でその責任を感じないといけないだろう、自分一人でそれを全て完結するのであれば、簡単に見える、でもそうなるとスピードどころか、何も生まれないことが多い、何も生まれないのであればやる意味もないだろう。たくさんの物事に関わるコトが多くなってきた。

5年前の自分では思ってもみなかった事を自分でも経験させてもらっている、沢山の人達に関わり、進める物事、出来上がる物事、進める物事、何をやるのにもスピード感って必要なんだと思う。

なかなかワガママと言うか、厄介なところが自分の性格であって、物事を動かせる前の腰は重い、走り出せば走るスピード感は早い方だとおもう。でも走り出すまでに時間がかかる。だからこそ人の手を借りて走らないといけない事が多い。

今までは単純に自分の足だけで走る事が多かった、でも自分の足以上に早いスピードで走る事ができる人が沢山いると思う。そんな時はその人と一緒に仕事をしたり。力を借りる事で一緒に走る事ができるのかもしれない。

やっと最近になって素直に頼む事ができるようになってきた気がする。

ワガママな部分と自分以外の人との関わり方をあまり考えずいつの間にか巻き込んでいた事が多かったのかも。ワガママってダメだと思っていた。誰でも「ワガママを言うな」と言う事は親か、近い人には言われた事があったと思う。ワガママを言わない=気を使う、もともとの性格がそんなに良い方ではないのに、使えない気を使ってしまう。

ある意味誰にも頼まれていない自分勝手でワガママでやり始めたことなのに、誰にも気を使う必要なんてないのに気を使う、それって本末転倒、使えない気を使うよりも、自分のワガママをいかに突き通すかを考えた方がいいなと思っている。

一見よく思われる、社交的、コミュニケーション能力が高い、などいい言葉を言われるけれど、そんなに良いものじゃない。逆に言われる事がリスクのように思う。

多少よくも悪くも印象よりも自分の事を理解してもらうためにはワガママな部分を理解して押し通す事が必要になるだろう、でないと0から1なんて生まれないだろう。そう思う…

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