Blog / 沖縄の事物を作る

特別な人に送る

特別な物を

特別な人に

特別な日に

そんな特別な物事に関わることはそんなにたくさんはないだろう。生きてるうちに特別な日とか瞬間とか思い出に残る物事ってどれだけあるのだろう。

物や事柄が溢れたいまの時代は自分自身で選択が出来る時代、選ぶ事を常にたくさんやっているとそれだけで疲れてくるだろう。毎日の選択を極力減らす事で自分の選択するべき事柄に集中すると言っている人もいる。

特別な事が周りに増えてきた何かしらの物事で埋もれてしまう可能性だってある。

自分でもそれを感じた経験がある、

自分の肉親が亡くなったときにしか生まれた日のありがたさを感じなかった。

目の前の物事に振り回されて自分の本来の姿をなしている大切な事に見向きもしない、何もそこに感じずに日々を生きていると目の前から無くなってからでしか感じられない。

日々毎日大切な事だけを感じ続けるのはたしかに難しい、生活のなかで色々な物事が起きるから、そこに振り回される事もある。俺は自分自身の生まれた日とかにあまり関心がなくて、最近はFacebookで誕生日なども教えてくれるから当日になって「あ。今日誕生日なんだ」と思い出す。毎年サプライズに見事にひっかかる。笑

人の事はやるんだけれど、自分の事と身内の事は苦手で後回しになりがち。
2900_1

いままでスルーしてきた事が多すぎる。「あの時あの瞬間にあれをやっておけば良かった」とか「あれを渡す事が出来れば」とか後悔のような後ろ髪引かれる思いをする事があった。いまの俺を作っているのはそんな物事の集まり。

いまの瞬間はいましかないのであればその瞬間を掴みとる意味でもなけなしの物をつぎ込む一つのスタートを一瞬の判断や考えていたとしても進めるかどうかは本人にしか判断できない。
2900_2

普段はどんなに思っていても伝えるタイミングってあると思う。毎日が特別な日でもない限りは常に贈り物なんてしないし常に最高の思いを持っていたり伝えたがっていても伝える事の大切さをその時に自分がどれだけ思っているかも大事、そして受け取り手のタイミングや心の状態によっても変わるだろう。
2900_3

人生の節目に、

人間よく生きて100年、一つの区切りの大切な還暦の祝いに送る物を半ば強制的に作らせてもらった。

内気だけれど変なところで傲慢な性格は自分の特権。周りがなんて言おうとこれをやる事に意味があると感じたら一人でもやる。

でも人の物を作る事って自分がどんなに重要だと思っていてもきちんと伝えなければ!

誤解されても意味がない。

ちゃんと伝わらないと自分勝手で終わってしまう。そんな諸刃の剣を持っている。

この日に渡す事に意味があったり、一年でその日にしか意味をなさない日。

あまりに特別な物を送る事に不慣れな自分が、自分の手で作る事でさらに思いを込めるようにと、まだ手が覚えている自分の職人気質風な手つきには自分が思ってもいない瞬間に体が覚えている物なんだなっておもったりする。

久しぶりに自分の手を動かして物を作る事でやっぱり人のためにやっている事なんだと実感しながら手を動かす。それは深夜まで続く…

還暦というその日で半世紀以上を生きた祝いの日にふさわしい物を、首里の出身であれば「首里織」を使おう、一生の中で一度しかない還暦の祝いの席であればその日から始まるこれからの日々に純白の新しい始まりの色を。

2900_4

とめどなく押し寄せるさざ波のようにも見える柄には広い海原を超えて伝え続ける思いや教えを届ける力を持つ表し。

2900_5

朱の漆の文豪(ぶんごう)は見聞を込めた書を入れる箱。秀英で美意識の詰まった人柄へ尊敬の玉手箱に詰めて送る。

一針一針と針を通す動きに自分の体全体で一着の服を作るように、けっして小手先の物に写らず妥協のないように。

沖縄にずっといるのに沖縄の織物を使うことはなかった、12年になるかな?飾る事のない素朴で贅沢な出で立ちに意味合いを感じる事が出来るのには少し時間が掛かりすぎた…

でもこの一点の思いを伝える事が生み出した事で出来るのなら。思い立つ事、行動した事がタイミングなのかも…

忘れてはいけないのは、あくまでも自分は作った人間であり裏方だ。

一番はそれを相手に渡す人(クライアントや依頼人)の思いが伝わるかどうかが主役。

特別な物を

特別な人に

特別な日に

自分が手をかけて作った事で渡す人の思いが何倍にもなるように、そして感動してもらえるように。代々と受け注がれるような物になるように…

Comments

comments