Blog / 独り言

自分が他人のために

朝の海辺

最近になってやっと気付いた事がある

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いま自分が何か一つのものを作ったりすることには目先にあるのはお客さんの存在、それがお金を払ってくれるか否かよりもその前に手に受け取ってくれる人がいるということ。

特定の人もしくはイメージできている対象の人物の顔が見えているのか?見えていなくてもイメージできている事で作り上げる事が出来るものの具体性が変わっていく。イメージする対象が限定される事で生活が見えて来るそうすると具体的なイメージや形や細部に至るまですべてがイメージできてくる。

正直に言うといままで作る事に何も違和感はなかったけれどもイメージする対象がいた事がなかった、プレゼントなんかは実際に渡す人がイメージできているから探す事も出来るし作る事の方が簡単だったりする。

何かを作ったり渡したりする事はすべて同じようなもので商売でも物作りでもすべてが共通する。受け取り手の事を考える事ができていない事はなかなかうまくいかないだろう。そもそも受け取って喜ぶ顔がイメージできていない事なのだから。

いままでイメージ出来ていなくても進める事が出来ていた理由の一つは「挑戦」や「好奇心」のようなものが大きかった。

自分勝手なものを作る姿勢はある意味では変わらない。

自分勝手な物を作る事には何も抵抗はない。

生み出す事には大抵思いつきやひらめきと突っ走る意味での勝手さや勢いが必要。

ましてや何か一つの事を進めていくにあたってもその部分は大きくとも小さくとも関わっていく。

自分が自分であるためや自分自身の手や頭の中から生み出される事、集めてきた情報を集約させて、さらに編集して新しい物事へと変えてしまう事も、沢山のいままであった物事を冷静に判断して隙間を突いていく事も。

自分の勝手な想いから走り出す事は沢山ある、人が付いてきたり、巻き込んでいく事で最初は突拍子もない事を始めてきた事自体が基準になって常識になったり、一つの物事として捉えられていくようになる。

創業は最初はひらめきがきっかけ。

次第に受け取り手の事を真剣に考えていくようになった。

受け取り手が存在する事で自分の事だけれど相手のために、そして相手の事を思うからこそ自分のためになる、

昔務めていた時には上司は「奥さんのために常に作っている」その言葉は半信半疑だったけれど、その対象がお客さんだったり、奥さんだったりするのは同じような事なんだなと理解できるようになった。

やり始めた事も勢いでやり始めた、少しづつ、少しづつだけれど徐々に進んで行く事で学んでいく事が多い、でも自分のためというよりも人のためとか他人のためというのは周り回って自分のためになるって事…

常に人間1年生を続けてる気分だ…

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